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治療費が高い

医師の技量に左右される要素が大きく

完全な不眠症に陥っていました。そんな姿は職場のだれも知らなかったし、夫にさえ打ち明けていませんでした。
家では夫と2人暮らし。子どもはいません。夫には最悪の精神状態は話していません。仕事がつらいといえば、「そんなにやならやめれば」という一言が返ってきます。仕事をやめたいわけではないので、つらい顔もみせられません。夫が帰宅すると、ヨッ!といつものように挨拶をし、元気ないねと言われれば、私ちょっとへんなのよねとさりげなく応答し、フーンでおしまい。夫はなにかを感じていたのかもしれませんがそれ以上の話はしませんでした。
朝目がさめて家を出るまでは会社に行くのがいやでいやでしょうがない。しかし、会社に一歩入ると、いつもと変わらず元気におはよう!と満面の笑顔で挨拶していました。その大きなギャップ。人に元気を与えるのが仕事なので、なにごともないように装っていました人前でしゃべるのが仕事で、新米の頃は別として、最近は人前に出たくないなどと思ったことがなかったのが、すごくドキドキして、いつになく緊張するように。どうしたんだろうと、それがまた落ち込みの原因になったり。内心、アレッ?、アレッ?、私はどうしちゃったんだろうと、マークが点灯しっぱなしでし身体的には湿疹が出たこともあって、かかりつけの内科医に、「最近眠れないし、イライラするし」と相談すると、更年期だよとあっさり診断をくだされました。
漢方薬を処方してくれて、「更年期はこういう薬を飲んでいれば、すぐよくなるよ」とサラッと対応してくれたので、南田さんはそんなもんかとなっとくし、ずいぶん気が楽になりました。南田さんの話をうかがっていると、なにか異変を感じてからの対応は迅速だったのがわかります。会社の医務室の看護婦さんにも、「最近、眠れなくて、イライラするし、急にドキドキするのよ」と相談に行っています。看護婦さんは「それって更年期よ。今飲んでいる漢方薬も続けたほうがいいしこれも飲んでみたら」と、産業医の処方のもとに安定剤を出してくれました。漢方薬と違って、安定剤は効き目が早く、身体が楽になるのを感じました。
幸いしたのは南田さんが更年期に対して抵抗感がなかった点です。

心筋梗塞などの冠病気で予後不良女性の職場だけに先輩たちから更年期という言葉をしばしば聞かされていました。「エーッ、暑くもないのに汗が出るの?」とか、「ボーッとするって、どんな感じなの?」といった会話が、かつて交わされていました。ただ、そのとき先輩たちがどんな治療をしていたとか、どんな薬を飲んでいるという具体的な話までは聞いていません。自分の番がまわってきたとき、どうしていいかわかりませんでした。だから、相談できそうな人にはみんなに聞いて歩きました。そうした対応の速さが症状を悪化させる前にくい止めたのかもしれませんとはいえ、「仕事に不都合がなかったとはいえない」と南田さんは振り返ります。家に帰ってどんなに暗く沈んだ夜を過ごしても、仕事を休むことはなかったものの「自信なげにやっているなとか頼りにならないなといった感じはあったと思いますね」
と南田さん。
以前なら、なにごとも迷わずチャレンジして、私がやるわという言葉がすんなり出たのに「ちょっと考えさせてください」とひいてしまいます。決断力、統率力が不可欠なポストだけに、それは大きなダメージとなったはずだと思っています。

  • 「会社が変わるわけでもないのだし、
  • もういいかなと」
    南田さんは大学を卒業し化粧品メーカーに就職。もともと好きで入った美容の世界、入社以来足踏みすることなく気持ちは前へ前へと走り続けてきました。これまで、大きな仕事を任されるたびに、自分が先頭に立つて下を引っ張りながら頑張って、上からの期待に応えてきました「気負いがなかったといえばうそになりますが、仕事が好きで、子どもがいなかったから、エネルギーをすべて仕事にそそいできました」という南田さん。

     

    頭痛のほとんど

    いつも自分が頑張らなければという気持ちで走り続けてきました。気づいたら30年近くがたっていたというところでしょうか。
    更年期になって心身の不調を感じ、仕事のペースダウンを余儀なくされ、歩く速度が落ちてみると、視界に入ってきたのはそれまでとは違った会社の景色です。
    女性がどんなに頑張っても、しょせん会社は男社会。役員は全員男性で、自分も部の責任者になって重要会議にも出席するようになると、どんどん上へと上っていく男性たちの競争している姿が見えてくるじゃないですか販売戦略の新しい企画を出したり、開発したり、大きなお金を動かして企画を成功させて、会社に利益をもたらすといったことも何度もありました。勢いに乗っているときは、どんどんアイディアもわいて、自分が会社を変えてみせると半ば本気で思っていたこともありました。一生懸命仕事をすればするほど、会社はこうあってほしい、組織はこうあるべきという考えが出てくるものです。しかし、大会社は中間管理職ひとりの力で変わるものではありません。
    とくに部署の長となって役員たちに身近に接し、肉声が聞こえてくる立場になると、会社は変わらないという現実も思い知らされます。それでも40歳くらいだったら、内心変わらないなと思っていても、エネルギーがあるでしょう。部下たちに『文句ばっかり言ってないで、皆で力を合わせてがんばろうよ』と叱咤激励しながらひっぱっていったり、皆で時間のたつのも忘れて議論したりする元気もあります。でも、40歳半ばを過ぎたころから、もうそこまでやらなくてもいいかなと思うようになってしまうんですね。十分にやってきたという自負心もあるし、若い人が育ってきていて、こんどは彼らが中心になって下をひっぱっている。体力的な衰えだけでなく、気力の衰えも実感しましたね
    もう一回、もう一回と新しい企画にチャレンジしてきた気力がなえたとき、南田さんは会社をやめることを選択しました「会社というのはトップが変わると考え方が変わったり、やり方が変わったり、そのたびに合わせていかなればならない。病気を見逃すおそれもあります。元気なときはなにも疑問を持たずに頑張れたけれど、なんだか同じことの繰り返し。会社が変わるわけでもないのだし、もういいかなと。そんなのが見えてきたのも更年期と重なっていましたね」
    とくに会社でできるキャリアウーマンとして働き続けてきた女性にとって40代は、職業の上では実りの季節、と同時に会社の組織的な待遇面では挫折感を味わうときでもあります。そんな証言は南田さんにとどまりません。
    会社で働き続けた女性たちが40代になって味わう出世の悲哀について、それは挫折感とも違うと南田さんは語ります。というより仕事に夢や期待が持てなくなるというか、自己実現の道が阻まれるといったらいのでしょうか。
    それがまさに見えないガラスの天井に触れた感触なのかもしれません元朝日新聞の記者でフリーのジャーナリストの佐藤洋子さんの著書『女が定年を迎えるとき』大和書房の中にこんなくだりがあります。
    「とにかく、どうしようもない男の後輩がどんどん追い越していくし、仕事そのものも一生懸命やってきた広報からはずされて、別の部署に移されたし、中高年になると、組織じゃ、女は生きにくくなるわよ。これは私だけの問題じゃなくて、他の企業にも、そう感じている女の人がたくさんいるはずよ」
    大卒でメーカー広報部で男性そこのけの仕事をこなしてきた、知る人ぞ知るというできる女の台詞です。南田さんも、こうした激しい言葉では表現しなかったものの、女性のための商品をつくる企業でさえ男社会であることを、40代後半になったときに思い知らされ、がっかりさせられ、仕事に対する意欲をそがれたことは事実です。

      1. ホルモンがなくなってからも長く生きていく
      1. 神経のはたらきで緊張状態にあ
      1. 健康にいいい

    治療開始陽性

    佐藤洋子さんは、先の本でこう述べています。昇進·昇格は早い企業では三十代から始まる。しかし、三十代の昇格については、本当の末端管理職か、賃金昇給のための名目的役付きが多いため、この頃はまだ、その昇進に遅れをとっても、女も男さえも心やかでいられると思う。中略また、仕事に限っていっても、これは男女を問わず、自分は一生現場を離れずにこの仕事を貫きたいといった理想主義を、まだ持てる年齢でもある。私自身、記者として『書く仕事』から、昇進·昇格のために離れたいと思わなかったし、一生ヒラで書きつづけて悔いないと、真っ正直に思えたのも、この頃のことだった。中略しかし、四十代になると、職場の様相は違ってくる。周囲を見回しても、いちばん最後の同期の男性にも既に何らかの役がついているのに気がつく。
    しかも、その男性が自分の上司になったりする。殊に、日本の昇進·昇格は賃金の上昇としっかり結びついているため、同期が上司であることに耐えられても、ほんのちょっとの役の違いで賃金が違ってくることは、働いている以上、女だって敏感になるのは当然のことではないだろうか
    こうした時期と女性の更年期がぶつかっているのは偶然か、それとも更年期はどんな道を歩んでいても人生の大きな転換期にあたっているのでしょうか「あと30年は大丈夫。
    医療の基本となっています。

    病気によって破産してしまうかもしれない。

    オイル交換したから」
    南田さんの話に戻しましょう。30年近く馬車馬のように働いてきたのだから、まだエネルギーのあるうちにいったん会社をやめて、自由な時間をつくってこれからを考えたいと思ったという南田さん。気持ちをこんなふうに整理した矢先に、田舎の両親があいついで入院する事態に。18歳で上京して大学へ行き、そのまま東京で就職、結婚。両親に対して親孝行らしいことは満足にできていないという負い目もありました。週末を利用して帰省して看病週日には戻って仕事をする生活を2年ほど続けているうちに、歯車としての会社の仕事が負担になってきました。
    「会社はすごく時間を制約されますでしょう。とくに管理職はタイムカードはないかわりて、遅くまで残らなければならない。時間が自分の思うようにはならない。管理職的な仕事はもういいと思いました。会社をやめた直接の原因は父の看病で疲れている母親を少しでも助けてあげたいと思ったからです。

    忙しい、忙しいだけじゃない娘もみせてやりたいと思ったのがきっかけです」
    逆に早く出勤し同時に組織を離れ自分の好きな道で仕事をしたいとも思ったと南田さんはいいます。会社をやめるにあたっては、将来に具体的な展望があったわけではないが、とにかくやめてから以後の人生についてじっくり考えようと。やめることに不安はなかったという南田さん。自分の思いに従ってすっぱり会社をやめられたのは、自営業を営む夫の存在も大きな支えになったにちがいありません。


    病気で予後不良 ホルモンと女性 治療費が高い