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ホルモンが分泌されるということです

症状への効果が期待できる

とくに更年期までの人生を振り返ってみると、できる女たちほど、組織の中で長年にわたって上司や部下たちに対して、どうしたら目標を達成できるか、どうしたらみんなを喜ばすことができるか、そのために邁進努力してきているのがわかります。
そして、更年期に立ったとき、さまざまな心身の不調を体験します。これまでのようながんばりがきかなくなったとき、いったい自分はどうしちゃつたんだろうと注意が自分に向けられます。これまでの人生のほとんどの時間とエネルギーを仕事に費やしてきたこと、それが心身の不調の要因のひとつとなっていることに思い至ったとき、ふとこんな問い掛けがわいてきます。
この先も(他者を喜ばせたり感銘させたり支配するために作り上げた)今のポストを維持し、エネルギーを投入し続けたいと思っているのノーという答えを出したとき、果してそれをどう解決していったらいいのでしょう。

ここで登場する女性たちは医師の力だけに頼らず、自力で更年期症状を改善させる試みをしています。
うまく解決の道筋をみつけた女性たちに共通するのは、素の自分ともう一度正面から向き合ってみる、その上で自分にとって大切なものはなにか。今まで最優先させていたものでも自分に合わなくなったものを捨て自分の生活の中で将来的になにが意味あるかということを明らかにして、取捨選択をし、身軽になる試みをしている点でしょうか。

検査に頼りすぎると誤診してしまいます。医師には相談しない会社をすっぱり退職した例もあれば、仕事を整理して自分の得意分野に絞りこんでいく方法もを惜しまず興味ある新しい分野の勉強をして方向転換をする例も。
また、投資更年期は更年期以降の人生にとってどんな意味を持つのか。飛躍的に延びた後半生はなんのために与えられているのか。そのことを考えるヒントを教えてくれる症例をご紹介します。
【体験症例⑧】「私の老後はどうなってしまうのだろう」
インテリアデザイナーの秋元逸子さん仮名·57歳が友人のひとことで初めて更年期を意識したのは48歳のころです。仲間と仕事の打合せをしているときに、意見の対立からどちらも引かずちょっとした言い争いになり、イライラを募らせ多少感情的にもなっていました。席を立った秋元さんの背中に「秋元さん、更年期じゃないの」
という言葉がぶつけられました更年期4、5歳は若い友人からそういわれ、単に意見の違いからくる対立だと思っていたのが、更年期という言葉を持ち出されて逸子さんは面食らいました。
と同時に更年期なんて言葉でひとくくりにされたのが不愉快でした。しかし、それ以来更年期という言葉は自分と無縁の言葉とは思えなくなったのも事実です。
「これは単にものごとをストレートにはっきり言う私の性格の問題だと思うのですが。その性格のコントロルがきかないというのは更年期からくるんでしょうか。よくわからないですね」
と、逸子さんはちょっと困った顔をします。
それからしばらくたって仕事で大きな失敗をしました。
インテリアショップでアドバイザーを勤める逸子さ言ってはいけない本心を口にしてしまって、お客は激怒んが、商品の苦情を訴えてきた消費者に向かって、店側にも迷惑をかけてしまいましたかつてインテリアデザイナーになりたてのころ、同じ失敗をしたことがありました。店のアドバイザーとして苦情処理も大事な仕事のひとつです。消費者の苦情に耳を傾け、それを店にも伝え、両者の関係をうまくおさめなければならないのに、逆に消費者に注意を促し激怒させてしまったのでした。それを貴重な反省材料として、以降そうした失敗は皆無だったのに、50歳のベテランになって同じ間違い。感情の抑制がきかなくなっている自分にとまどい、落ち込みました。
更年期に多くみられる症状のひとつにイライラがありますが、逸子さんもそのころ、とにかくちょっとしたことでイライラしてつっかかり、友人たちと関係が悪くなったことが一度や二度ではありません
と当時を振り返ります。

 

症状をうまくコントロールするため

イライラだけではありません。2年ほど前、海外出張から帰国したとき、いつもなら数日すれば疲れもとれて元気になっていたのが、疲れがなかなか回復しません。海外での仕事のストレスからか、胃けいれんをおこして病院へ駆け込む騒ぎに。その頃から集中力、気力がついていかず、仕事が思うようにこなせなくなりました。締切りが迫って気持ちは焦るのですが、ペースが上がりません。秋元さんは不安にかられ、不安は不眠へとつながっていきました。
「体力がなくなり、気力も薄れ、このまま仕事ができなくなったら、私の老後はどうなってしまうのだろう」
独身で一人暮らしの逸子さんはそう考えると眠れなくなります。
思い詰めて死ぬしかないとまで考えるように。
そんな不安を忘れようと、つい食べすぎ、飲み過ぎの日々が続き、人生で一番太った
のもこのころで症状を聞いていると軽いウツ状態ですが、逸子さんは自力でなんとかしようと、解決の道をさぐります。

こで、昼は毎日1時間程度のウォーキングを心がけ、夜のお酒を控えて体調の維持に努めましたそ2か月ほど続いた不眠を脱するきっかけは、ある決断でした。このままでは自分はだめになると危機感を抱いた逸子さんは、現在の仕事の幅を広げようとガーデニングを一から勉強することを決めます。「新しくいろいろ覚えなければならないのは大変ですけど、以前から興味があったことですから楽しみもあます。おかげで、これから先の方向性が決まったら、あれほど悩まされていた不眠はパタッとおさまってしまったんです」
しかし、これですべて解決ではありません。更年期の試練はまだまだ続きます。最近の話ですが、趣味の俳句の会で3年前から会計係を担当していて、収支決算をしたところ、30万円の誤差を出したといいます。「単に収入と支出をつけていくだけの単純作業なのに、どうして!?医師の言葉こんなことさえもできないの?とショックですごく落ち込みました」。
仕事ではこんなこともあります。海外取材で得た情報を顧客に話して伝えようとしたところ、以前なら覚えていたはずのことがぼんやりとしか記憶されていなくて、あわててしまいました。そうしたことが1度や2度ではありません。忘れないようにメモしておくのですが、悲しいかをいざメモが必要なときにすぐに出てきません。仕事でそんなことが繰り返されると、落ち込みを通りすぎて、このまま自分はどうかなってしまうのではないかという恐怖心がわいてくるといいます。「ジェット機ではなく自転車を楽しんでいいんじゃない」
逸子さんはそんな自分の駄目さかげんを思い知らされることが続いて、これまでの自分はなんだったのだろうと改めて振り返らざるを得ませんでした。

「私はこれまでずっとハードルを高く高く設定し続けて、いつもそのハードルを越えよう、越えようとがんばってきたんですよ。いってみれば、町の運動会でいい成績を出したのを自分はできると勘違いして、オリンピックを目指すようなことをしていたのではないか。それに気づいたときには冷や汗が出る思いでした。オリンピックどころか、今は自分の足元もグラグラして危うくなってきているんですから」
失墜し続ける自己との信頼回復をどうしたらいいのか。どうすれば今一度確かな信頼関係を結べるのか、考えるとすごく落ち込むといいます。町の運動会と逸子さんは謙遜しますが、どうして、これまでの仕事ぶりは実に精力的。フリーのインテリアデザイナーとして住宅や店舗のデザインを手がけ、テレビや雑誌などにもアドバイザーとして登場し、大学でも講師として講座を持っています。

    1. 薬剤過敏性があるレビー小体型
    1. 認知症で保険が適用される
    1. 免疫力を低下させる。

健康を阻害する食物になってしまうのです。

著書も多く、不眠に悩まされ、仕事のペースが落ちたという時期にも1年に3冊出版しているほどのがんばりようです。ときどき、肩にずっしりのしかかっている仕事という荷をおろしたいと思うときがあると、逸子さんはさらにつらい胸のうちを打ち明けます。そんなふうに感じたことはこれまでありませんでした。でも、荷をおろしたら生きていけません。それに、そんなことを言いながらも仕事が好きで、精神的なよりどころだということもよくわかっています。そんな気持ちの間を振り子のようにいったりきたりしています。30代でこの仕事についてからは、とにかく仕事、仕事、仕事。理想とする人物がいて、その人をめざし、高い目標をかかげてひたすら仕事をしてきたんです。でも、もうそれをやめようと。私流で行こうと思えるようになってきました。友人に言わせると、私は上昇志向の強い人間らしいですが、いままではそうじゃないと否定していました。でも、最近になってもしかしたらそうだったかもしれないと気づいたんです。これからはジェット機や特急列車ばかりを使うのではなく、ときにはバスに乗ったり自転車や歩くのを楽しんでもいいじゃないか。ここ1、2年そういうふうに切りかえられるようになってきました
荷は降ろせませんが、軽くすることはできるというわけです。
また、こんなことも。
3年前に買ったマンションの20年ローンが負担になっていました。
最近、知人のアドバイスを受けて、老後のためにたくさんかけていた保険の一部を解約し、ローンの返済にあて、返済期間を半分にしました。そうすると60代半ばで返済は終わり、賃貸しが可能に。少し気持ちが軽くなりました「体験して思うのは、更年期ってそれまでとりつくろっていたものがはがれて、地金が出てしまう時期じゃないでしょうか。地金が出て、改めてそれ以降の人生をどう過ごすかを考える、更年期の体験はそれをみつめるきっかけかもしれません」
逸子さんはそうしみじみ語ります。
地金が出た素の自分と向き合うのはときには苦痛を強いられます。でも、そうしないかぎりこの先前へ進めなくなるのが、更年期かもしれません。
治療が大切な時期です。

DNAを修復する

心も身体もこれまでとは同じペースではがんばりきれないと悲鳴をあげたとき、やはり素の自分ってどんなだったの、と問いかけることは大切ではないでしょうか更年期は57歳になったいまも続いているような気がします。でも、更年期はこれからの新たな生活への助走期間でもあり、エネルギーの蓄えの時期でもあるように思えてきました。一時、不安、焦燥感から不眠になったとき、暴飲暴食をして逃げていたけれど、もう逃げてはいけないと胆に命じています。失敗に対してきちんと向き合って、駄目な点を反省して、それを繰り返さないように努力する。それが基本ですねと再び決意を語る逸子さん。更年期に心と身体が異変をおこし、自分自身が信じられなくなったとき、だれもが体験したことのないような不安や恐怖心に襲われます。医療者や薬に頼ることなく、自力で乗り越えた逸子さんの更年期に負けない強さは、いったいどこからくるのかと改めて考えさせられます。
それは、発想を切り換えて潔く変化に対応する柔軟さと、自己の信頼回復のための地道な努力を惜しまない姿勢かもしれません。
【体験症例@l私もそろそろ人生の転機が来るのかを自らを「動物占いでは全力疾走のチータ」
と表現し、まさにチータのように全力疾走で走り続けてきたとい47歳で会社を退職、う横山智子さん仮名·56歳。大手出版社の編集部でキャリアを積み、書籍、雑誌、ビデオなどの出版を手がけています。自ら会社を設立。
家族は同じ年の夫と大学1年の長女の3人暮らし。
智子さんの更年期は、編集者という職業柄か情報量も多く、自身のことについても少なからず分析的で客観的な視線を向けていて、興味深いものがあります。智子さんの更年期のつらい時期は52歳から55歳くらいまで、4年ほど続きました。閉経は53歳。それより少し前、生理があったりなかったりしていた時期、あとから振り返るとその頃からウツ状態は始まっていました。
退職してまもなく、頼まれた大きな仕事に全力投球し、狙いはことごとく的中して、企画は大成功。大きな自信につながりました。会社も軌道にのりつつある頃でした。なんとなく体調が悪い、疲れやすいと感じていました。そんな頃、好奇心から知り合いの紹介で婦人科のドクターのところを訪ねました。飲んでいると若くいられると聞いたHRTについて関心を持ったからです。問診表に書き込んでドクターに見せると、ややウツ系かなと言われました。


医師には相談しない 病気の有無 薬を飲みつづけ