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細胞とどれだけ似ているかにもよるんです。

医師には相談しない

それだけに、更年期年齢になって判断力が落ちるとか、仕事のペースが遅くなるとか新しい仕事が重荷になるとか、これまでとは様子が違ってくることが多くなったとき、どう考えたらいいのでしょう。いったいこれは更年期症状なのか、あるいは自分の能力の限界からくるものなのか、容易に判断がつきません。とくに早苗さんのように、更年期年齢と職場のポストが変わるのが同時期だとすると、ますますわからなくなります。ポストの格下げ後は仕事の自信のなさは消えたものの、この2、3年、精神状態がすっかり安定したとはいえない状態が続いています。いつも喉元にかたまりのようなものをかかえていて、仕事がうまくいかなくなると、それがすぐに出てきて喉がつかえるような感じになります。会社に行きたくないと思ったり、衝動的に明日にでも仕事をやめたいと思ったり。
結婚斡旋所に登録してでも結婚したくなるし、なんとなく付き合いが続いている彼との関係をのろいたくなるし、一緒に暮らす母親の存在はありがたいとは思っていても、イライラが募るとうっとうしくなってしまいます。この先自分はどうなるんだろうという不安。以前は考えもしなかったことを考えるようになり、それもどんどん悪いほうに考えてしまう。あげくなにもかもに当たり散らしたくなります。「去年の私自身の流行語大賞はなんだかわかりますか。『くそったれ』ですよ。1年間で何千回吐いたかわからないくらい。そういう汚い言葉をバーンと吐き出すと、けっこうスッとして、ストレス解消になるんです。人さまの前で言うと大変なことになるので、お風呂場とか自分の部屋とかで口にするんです。これってなんなんでしょうね」
とにっこり笑う早苗さん。育ちのよさを感じさせる雰囲気から、くそったれという悪態はまったくといっていいほどそぐわない。聞かされた私はとまどいながらも、その言葉を数えきれないほど吐いたことに改めて容易に解決の道を見つけられない早苗さんの、鬱積したものの大きさを感じざるを得ません「この仕事が好きかもしれないという気持ちが支えに」
現在、早苗さんを辛うじて支えているのは安定剤です。
それに、早苗さんが語っていたそれでも自分はこの仕事が好きかもしれないという気持ちでしょう。

病気の有無

病気がある場合を除く


免疫力はいらない

>薬をあげ安定剤は以前、十二指腸潰瘍を患ったときに、内科の医師から「あなたはみていると仕事がとても忙しいしこれ以上潰瘍を悪化させないためにも安定剤を飲んだほうがいい」と言われて、抗不安薬を処方されましたそれ以来、明日は厄介な打合せや契約のための交渉があるときには、それを飲むことにしています。「安定剤がないと乗り切れないんです。自信がなくなってしまう。仕事のことを考えると夜は眠れない。あんな小さなものでも飲むと安心して眠れるから不思議ですね安定剤さえあれば、HRTや漢方薬は必要ないという気がしているとも。
ますが、更年期の症状は出ていないといいます。
現在、HRTや漢方薬をやめてい自分の中でいつも解決してしまうタイプ」
性格的には分析します。
あまり内面をさらけだせない。

と、早苗さんは自己HRTも効果がなく、びに聞いていた医師は、漢方薬でも症状が改善されないとわかったとき、1年あまり早苗さんの話を診察のた「田口さんの場合、仕事をやめないと症状はよくならない」と言いました。
そうはいっても独身の女性の場合、簡単に仕事をやめるわけにはいきません。
では、どうしたらいいのでしょう。
最近、勤務しているレストランのリニューアルオープンの話が持ち上がりました。テナントとして入っているビルの大改装に伴うもので、店の規模もこれまでの3倍ほどの大きさに拡張が決まりました。早苗さんは責任者として、現在ある店を整理して、新店舗の予算の見積もり、デザイナーと共に内装を決め、プレゼンをして、ビルの管理部門や本社との打合せ、業者との契約の前に交渉作業など、気の抜けない仕事を連日こなしています。


予防に効果があるという報告もあります。

病気が引き起こされることになります。

ストレスがあって以前、アルバイトから正社員となってレストランの店長として行ったのが10年余り前。あの頃は若かったし更年期もなかった。やってやろうという気持ち満々でしたが、今は違います。まもなく工事が始まり戻ってきてから今がいちばん大変です。でも、もしかしたら私はこの仕事が好きかもしれないという気持ちが支えになっていまますが、それを考えていると心臓がバクバクして、安定剤を飲まないと眠れないと早苗さんは打ち明けます。
当分の間、安定剤を手放せない毎日が続きそうです。【体験症例⑦】「かつて体験したことのないストレス」
次にご紹介する例は幸運にも退職を選択できた症例です。
本橋小夜子さん仮名·48歳は今春、28年勤めた小学校教師を退職しました。
更年期障害
心身症
ウツ病と診断され、数カ月の病気欠勤の後に、涙をのんで出した結論です。根がまじめで頑張り続けてきた小夜子さんに、神様が与えたしばしの休憩時間なのでしょうか。医師から「あなたはこれまでまじめに手をここらでしばらく休みなさい」
と勧められたとき、小夜子さん抜かずに一生懸命やってきたはずだ。だから、は正直救われた!と思ったといいます。現代社会は人間関係が単純ではなくなり、その人間関係が想像以上に大きなストレスとなって、心身を直撃します。
小夜子さんの病気のきっかけも、4月に転校した新しい職場での人間関係がきっかけでした小夜子さんは結婚して20年。
自営業の夫と高校3年と中学3年の男児の4人暮らし新しく赴任した学校では3年生の担任に。クラスは33年上の女性教師A先生と産休を埋めるための講師小夜子さんがA先生をさしおいて、学年主任になったのには訳がありましたA先生はいわば問題の人物。
れまで1度でも同じ学年になった先生は、もう2度と組みたくないと敬遠されていたのを、赴任してまもなく知りました。担任が決まって早々、「今年はあなたが犠牲者よ」、「A先生と組んだ先生はみんな病気にもなるのよ」と、何人もの教師から耳打ちされました。
気持ちがまっすぐな小夜子さんは、最初のうちはなにもわからず、う、とみんなの話をまにうけていませんでした。

症状への効果が期待できる

医師にかかって処方してもらいそうはいってもいいところもあるでしょところが、それが事実だとわかるのにそう時間はかかりませんでした先生はすべてに非協力的学年会議で決めごとをしても、決して実行しない。学年の教材研究も、小夜子さんの提案に対してそれはやりたくないと反発したり、それはいいですねと言いながら自分のクラスではやろうとしなかったり。1か月もたたないうちに、責任者として学年運営に行き詰まり、「かつて体験したことのないストレス」を感じていましたA先生とは日に日に、うまくやるのは無理かもしれないという思いが広がり、その不安は不眠へとつながっていきました。新学期が始まって1カ月とたたないうちから、床についてから学校のことを考えると眠れなくなりました。うまく眠れても、夜中の2時3時に目が覚め、A先生のことを考えてしまうのです。とくに学年会議の前日がだめでした。
A先生の正体が明らかになるにつれ、なにも知らない転勤したばかりの自分に、に対する不信感も、いやおうなく募っていきました。
難題を押しつけた教師集団6月に入って悶々としていたところ、保健婦のB先生から声をかけられました顔色も悪いし、声にはりもないし、元気もないけれど、どうしたの涙ながらにたまっていたものを吐き出しました。
「とにかく学校のことはすべて忘れて病院へ行きなさい。私もそういう経験があるのよ。
子どもに元気な顔笑顔を見せるためにも、家庭で元気でいるためにも、これからのあなたのためにも、とりあえずすぐに病院へ行くのが大事」
と、B先生は強く背中を押し、私はここへ行ったと大阪医科大学の後山尚久医師を紹介してくれましたさらに「病院に行く前に管理職にきちんと事情を説明したほうがいい」とアドバイスも。
小夜子さんが校長と教頭にこれまでの事情を打ち明けると、校長はあなたに、もうがんばれとは言いません。そこまでだとは思わなかった。
しよう!
これからいっしょに考えていきまと言いました。なぐさめられた小夜子さんは気持ちが少し楽になったといいます。
「うまくやっていた先生もしたんだから、きみもがんばりなさい」
一方、教頭の言葉はこの一言で小夜子さんは、教頭先生に対してすっかり心を閉ざしてしまいました。


病気で苦しんでいる人たち

自宅に訪ねてきたり、電話が入ったりするとそれだけで具合が悪くなるほどでしたその後、病欠中、教頭が「とにかく話したいことは全部聞いてもらった」
小夜子さんにとって救いだったのは、家族の全面的な理解が得られていたことです。
もしかしたら、学校をやめることになるかもしれないと打ち明けていましたとにかくだれか専門の医療者にすがって楽になりたい、胸のうちを吐き出したいと、紹介された後山医師のところにかけこみました。
「これまでいやなことをたくさん乗り切ってきたんです。子育てと仕事の両立で大変な思いもしているし、若いときには職場で教師の陰湿ないじめにもあっています。でも、それを乗り切ってきた。今回のことなどうまく乗り越えられると思っていたのに……」
そう訴える小夜子さんの話を、後山医師はウン、ウンと聞き続けました。「とにかく話したいことは全部聞いてもらったというくらい、十二分に聞いてもらった」あと、後山医師はこう言いました。
「若いときに乗り越えられても、もう今は無理はきかない。がんばったらだめ。それにストレスをそんなにめこんではいけませんね。
点を持てるとは思えない休みなさい」
話を聞いているとA先生はあなたがいくら努力しても変わらないし、これからも接距離をおいて付き合うしかないんじゃないかな。いずれにしても、しばらく学校をすぐに病気欠勤のための診断書を書いてくれました。

診察の結果をB先生に報告すると「最初の診察を受けてすぐ病欠の診断書が出たというのは、予想以上に悪かったのね」
それにしても保健婦の先生に勧められ、わけもわからず飛び込んだ先が更年期外来だったとは。小夜子さんは病院からの帰途、気分が落ちつき初めて気づいたと言います。「更年期障害なんて、仕事をバリバリやっている私にはありえないと思っていました。でも、あとから『仕事を持っている人のほうが、家庭の主婦よりストレスが多いからなりやすい』と先生から聞いて、なるほどと納得しました」
6月から3か月間の病気欠勤胸にたまった鉛のかたまりをはきだし、A先生と顔をあわせることがなくなった小夜子さんは、処方された睡眠剤と安定剤で昼となく、夜となく眠り続けました。
治療ができるかもしれない

生活習慣のゆがみによってインスリン抵抗性が生まれる

ホルモンが盛んに分泌まるで数十年の教師生活の疲れを一気に癒そうとするかのようにそして少しずつこれまでの自分を振り返る元気が出てくると、すぎなかったと気づきました。
A先生とのことは単にウツ状態への引き金に前任校でも50代の女性教師と組んで、しんどい思いをしていました。校長から「いっしょにやれるのはおまえしかいない」と励まされ、3年間学年を組みました。その教師とは鋭く意見が対立することもありましたが教育に情熱があるという点では接点があったので、なんとか続けられました。それでも、学校に行くのがつらいと思う日が多くなり、自宅で吐き気をもよおすこともありました。
その頃と前後して、ひとり暮らしの80歳を過ぎた母親が入退院を繰り返していました。小夜子さんは毎週土曜日は授業が終わると実家へ。日曜日は再び自宅に戻ると、子ども会の役員の仕事で週末もフル回転。たまったストレスはうまく解消されないまま、かなり限界まできていて、A先生の件は最後のだめ押しのようなものでした「自分と直面する機会を与えてもらった」
小夜子さんは思います。若いときには大変なことはあっても、家に帰って壁に向かって大声で叫んで、涙を流せば、翌日はまた元気で出勤できたのに、なぜ今はそれができないの。
更年期になると気力、体力の衰え、長年の疲労の蓄積でストレスへの抵抗力も弱くなっているのを実感せざるをえません。3か月間の病気欠勤が終わる頃、このまま小夜子さんを学校に戻したのでは症状がぶり返す、と後山医師は判断したのでしょう。
「しばらく休みなさい。自分の仕事をきっちりやってきたのだから、あせる必要はないですよ」
医師の説得に小夜子さんも納得休職を決断しました。ただ生徒たちに申し訳ない思いでいっぱい。自分を責め続けていました。しかし、休職の覚悟を決めてしまうと気持ちは少し落ちついたのか、以前から習ってみたいとずっと思っていたフルートのレッスンに通うように。その後、小夜子さんは退職を決意。A先生ともう一度学年運営をすることは考えられないといって、このまま転勤させてもらうのは、自分としては許せない。
教師集団に対してもひっかかりを感じているし考えぬいたあげくの決断でした。
後山医師の助言もありました。