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動脈硬化を進展させてしまうかもしれません。

遺伝子の型をもっている

女性ホルモンを試して、よければしばらく続けるのもいいかもしれないと勧められ、2週間ほど試した後、やめました。
「これといって実感できる変化がなかったのと、もうひとつは以前からユング心理学などを読んでいて、ユングの説によれば、私にもそろそろ人生の転機がくるのかな、というのがあったから。それを自分で実感したかったわけね。来る前にホルモン剤を飲んでいると、わからなくなってしまうでしょ。薬で乗り越えたくなかったんです。なにか来るのだったら、自分でおとしまえをつけてみたいと思ってました」
というわけで、更年期とは全面対決やってみますと説明しました。
する覚悟はできていました。
ドクターにはもう少し素のままで頭の中がボーッとして、集中力がない、判断がシャープじゃないと感じるようになったのは、閉経のころだったような気がするといいます。

「ちょうどそんな頃にとても腕のいい整体師がいると聞いて、肩が痛いのやひどい疲れをほぐしたいと思ってかかりました。治療はかなりきついものでしたが、最初に治療を受けたときには紗がかかったようになっていた頭の中が、スキッと霧が晴れたようになって。
感動するくらい効果があったんですよね」
肩も楽になり、1年くらい通い続けましたが、体調がすっかり回復するまでにしかし、劇的な効果は最初だけで、は至りません週2回、私、ウツ病です
ウツ症状は少しずつ進行していて、やがて不眠の症状も加わります。若いときから眠りは浅いほうでしたが明け方の3時頃に目がさめるようになり、十分な睡眠がとれなくなってきました。これまで好奇心のかたまりのようになって突き進んできた仕事を、義務的にこなすようになり、趣味の芸術鑑賞にも感動しなくなっていきましたたまたま心療内科のドクターを取材したのは、自分でもウツ状態を自覚するようになった頃です。もともと人に対する気くばりは人一倍するタイプだけに、仕事が終わったときの疲労感がひどい。帰宅するとなにもしたくない家族にも口をききたくないイライラする。とくに夫に対してむしょうに腹が立って、いまいましく思ってしまう日が続きました。週末は人に会いたくない、電話に出るのもいや、毎週末通っていたスポーツクラブに行くこともなくなり、ひたすら家にいて眠り、目がさめるとなにか食べるか、飲んでいるか。まっく活動的ではなくなっていました。

うつ状態におちいる治療ができるかもしれないそのころかなりの資金を集めて新しく立ち上げた仕事もうまくいっていませんでしたいっしょに立ち上げた人の責任も大きいのに、冷静に判断できなくて、ひたすら自分のせいだ、私がだめなんだと責めてしまうのもウツに入っている証拠それに物忘れが出てくる。これも老人性のボケではなく過性のものでウツ症状のひとつなんですね
と智子さん。心療内科のドクターに私、ウツ病ですと訴えて、診察を受け、しばらく抗ウツ剤SSRIの投薬を受けました。薬のおかげで、多少の吐き気など副作用はあったものの、ウツの症状は多少は回復しかし、そこそこ効果はあったものの、薬も3か月で中止してしまいます。
「整体も心療内科の薬もけっきょくみんなやめてしまったのは、最終的にはやっぱり自分の力で治すしかないと思ったからなんですね。つまり、整体をやっても、心療内科の薬を飲んでもある程度はよくなるけれど、完全には治らない。
そのよくならない部分というのは私の環境的なものに起因していて、それが解決しなければすっきりとは治らないというのがだんだんわかってきたんです」
仕事上の問題を解決するしかない。そこの部分は薬や整体では治しようがない。そのことがはっきりとわかったときに、智子さんは改めて自力でやってみようと決意を新たにします。以前、ユング派の分析家を取材したことがあったんです。取材のあと、『私も分析を受けてみたい』と言うと彼は『分析はとても面白いですよ。だけど、究極は自力で解決するのがいちばん。

 

ホルモン·バランスが崩れてくる。

人の助けを借りるのもいけれど、自分で自分を治していくことにまさるものはない』と言いました。それが耳に残っているせいか、整体や心療内科などいろいろ頼ってはみるのだけれど、最終的には委ねてしまうことはなく、やっぱり自分でなんとかしなければと思っていたんですねと振り返る智子さん。仕事では問題をかかえていました。会社を設立してから、本来得意分野とする雑誌や本づくりに加えて、いくつかの新しい分野にもチャレンジする機会にも恵まれてきました。目の前にあるおもしろそうなものは片っ端から試みて、事業を拡大し続けてきました。それがいつのまにか身の丈以上のものになっていたり、不得意な分野にもかかわらず無理をしてがんばってやっていたり。そうした仕事の整理整頓にとりかかりました。

  • 「どんどん霧が深くなっていく感じ」
  • 仕事上で自分が抱えている困難をときほぐしていく。
    こんがらがっているところをひとつひとつ解きほぐしていって、自分のなっとくできる形にもどしていく作業をやっています。そのためには時間が必要です。この仕事は自分には無理だと納得して人にお願いをしたり、ゆずったり、仕事を降りたり。ようやく自分で納得のいく形がついてきたところでしょうかこうして、仕事の整理がつきはじめてくると、睡眠剤の力も借りず夜も眠れるようになって、夜中に覚醒することもなくなったといいます。気持ちが楽になれば、体も緊張がとけて楽になります。眠れるようになっのもそのせいでしょう。体が元気になると、ふたたび意欲も沸いてくるようになるものです。
    智子さんにとって更年期とはどんなイメージかと尋ねてみました。
    「カオス混沌かな。どんどん霧が深くなっていくという感じ。細胞たち中年期というのはたずなをどんどん増やしていく時期じゃないですか。たずなを引いているのも自分だし、馬車馬のように走っているのも自分。いろんなおもしろそうな仕事が目の前に広がって、それを次々と取り込んでいくうちに持っているたずながどんどん増えていった。増えたら捨てなければいけないのこんがらがってしまった。それに気づくときが更年期かな」
    つのまにか持ちきれないほどになっていて、すっかそして、仕事を増やしても、10年前なら体力、気力ともについてきたのに、同じ量を同じペースでこなせなくなっているのに気づかされるのも更年期でしょう。つまり、これまでとは違うと思い知らされるとき、いままでとは違った考え方、やり方が否応なく必要となってきます。「変わらざるを得ない。これは天からのめぐり合わせだと考えたい。自分の年齢とか経験とか、いろんな要素がめぐりめぐって舞台が回転するという感じ。
    そうした実感です」
    舞台が回転するまさにこの言葉がぴったり。さまざまな葛藤がおさまって改めて視界が開けてくると、まわりに見える景色はそれまでとは明らかに違う。それくらい衝撃的な体験をする人は少なくありません今後は自分にできることとやりたいことのバランスをとって、自分を楽しませてやることを中心にしたい。
    そしてこれまでは全部自分でみないと気が済まなかったけれど、人に任せることを覚え、自分の引出しにあるものを出して若い人たちの役にたてたらいいなと思ってます。いままでは自分が一番で、自分のことで精一杯だったという智子さん。
    これからは人の役に立つような仕事をしたい、それができたら心豊かな今後の人生がおくれるかなと考えているようです。【体験症例⑩】「考え方を変えるような出来事が起きました」
    南田久美子さん54歳は更年期にさしかかって体調の異変を体験し、それをきっかけに自分のこれまでの仕事生活を見直し、将来に向けて軌道転換を決意しました南田さんのようにクリアカットにいく例は決して多くはありませんが、大なり少なり、ティティの再体制化のプロセスプロローグ参照を通るのが更年期ではないでしょうか。

      1. 細胞診が行われます。
      1. 病気を恐
      1. ガン力があることが判っています。

    薬だった。

    こうしたアイデン南田さんは語りま今振り替えると、47歳から50歳くらいが本当に疲れていたなと思いますね。閉経がどういうものかもわかってなかったし。精神的にも眠れなくなったり、考え方を変えるような出来事が起きてきたりしました。会社に経営者になればそれなりの面。だったら管理職の肩書をはずして、自分の原点にも白さもまだまだあるのでしょうけど、なれるわけがないどってみようかと、そんなことを考えたのが私の更年期だったでしょうか大手化粧品メーカーに勤める南田さんが、自分自身の異変に気づいたのは46、47歳の頃。ちょうど閉経の前後頃でしたあの頃は毎日が忙しく、しかも当時は更年期についての情報は今ほどなかったので、はっきりとした自覚はありませんでした。あとから振り返ってみるとあのとき更年期だったのかなという感じですよね3年間くらいはおかしかったといいます。
    が苦痛に感じるようになっていました。
    とくにひどかったのは閉経のあと1年間くらい。

    人に会うの全国にいる美容部員のトップに立つポストで、美容に関する新しい企画や開発をする本部の発信基地のリーダーです。美容の仕事はいつもはつらつとして、きれいにしているのがあたりまえ。それがつらいいやだ。
    お化粧することや装うことなんかどうでもいいじゃないか、と思うようになっていました。南田さんの職業人としての基盤を揺るがすような出来事です。そんなふうに考えるのはむろん初めてでした。
    「きつかけですか?それがよく覚えていないんです」
    ベーシックな色合いの装いに、メークもごくナチュラル。淡々とインタビューに答える南田さん。つい1年前までは女性に美を売る大手企業の、バリバリのキャリアウーマンだったというのに、驚くほど気負いがなく自然体です。
    免疫グロブリンという抗体

    薬にして

    「精神的に大きなストレスがあったかといえば、これといった大きなものがあったという実感はありません。
    ただ、自分なりに考えてみると、これまで仕事ではずっと上にも下にもいい顔をし続けていたな、私はいつも元気で、みんな私についていらっしゃい!というスタンスでがんばってきたかなと思います」
    とくに職場環境に変化があったわけでもなく、ポストが変わったわけでもありません。それがある時期からだんだん元気がなくなり、夜眠れない日が多くなって、人に会うのが苦痛になっていきました。
    若いスタッフがいろんなアイディアを提案してきたり、問題点を指摘したり、茶飯事です。いつもなら余裕を持って耳を傾け、対応できるのに、それが苦痛。
    どんどん言ってくるのは日常それどころか、スタッフが自分を批判しているのではないかと、疑心暗鬼になったり、なにげない相手の言葉にものすごく傷ついたり。
    信頼感が得られないなと感じたりして、どんどん落ち込んでいきました。いままではなんでもなかった他人の一言が気になりました。職場の不都合は全部自分の責任で、自分を全面否定。私さえいなければいいんじゃないかとさえ思い始めました。自己嫌悪と自信喪失。私って最低だとか、たいした力がないのになにをやっているんだろうと、すべてをマイナスに考えるように。こんなふうに落ち込んでいく体験はこれまで記憶がありませんいつも元気印で、アフターファイブは若いスタッフを引き連れて飲みにいっていたのが、そんな気持ちにはなれません。逆に人から誘われると、この人は本当は私を誘いたくないのに誘ってくれているんじゃないかと勘繰ったり。相手の言葉を素直に受け止められないのです。そんな性格ではないんですよ。だから、どうしたのかしら、私らしくないなあと首を傾げることの連続でしと振り返る南田さん。

  • 「アレッ?、アレッ?、
  • 私はどうしちゃったんだろう」
    それでも、会社ではなんとか仕事をこなしていましたが、家に帰るともうダメ。部屋を真っ暗にしたまま一歩も外へ出られません。だれにも会いたくない。椅子に腰掛けていると、耳元に人の声がファファファファアと聞こえてきて、それが気になってイライラ。精神的にもとても不安定になっていました。眠りも浅く、夜中の3時ごろには目がさめて眠れず、疲れているはずなのにどこか頭の芯がさえているような。


    治療ができるかもしれない ガンについてもこれまで何度も臨床試験をしています。 症状への効果が期待できる

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    ホルモンが分泌されるということです

    症状への効果が期待できる

    とくに更年期までの人生を振り返ってみると、できる女たちほど、組織の中で長年にわたって上司や部下たちに対して、どうしたら目標を達成できるか、どうしたらみんなを喜ばすことができるか、そのために邁進努力してきているのがわかります。
    そして、更年期に立ったとき、さまざまな心身の不調を体験します。これまでのようながんばりがきかなくなったとき、いったい自分はどうしちゃつたんだろうと注意が自分に向けられます。これまでの人生のほとんどの時間とエネルギーを仕事に費やしてきたこと、それが心身の不調の要因のひとつとなっていることに思い至ったとき、ふとこんな問い掛けがわいてきます。
    この先も(他者を喜ばせたり感銘させたり支配するために作り上げた)今のポストを維持し、エネルギーを投入し続けたいと思っているのノーという答えを出したとき、果してそれをどう解決していったらいいのでしょう。

    ここで登場する女性たちは医師の力だけに頼らず、自力で更年期症状を改善させる試みをしています。
    うまく解決の道筋をみつけた女性たちに共通するのは、素の自分ともう一度正面から向き合ってみる、その上で自分にとって大切なものはなにか。今まで最優先させていたものでも自分に合わなくなったものを捨て自分の生活の中で将来的になにが意味あるかということを明らかにして、取捨選択をし、身軽になる試みをしている点でしょうか。

    検査に頼りすぎると誤診してしまいます。医師には相談しない会社をすっぱり退職した例もあれば、仕事を整理して自分の得意分野に絞りこんでいく方法もを惜しまず興味ある新しい分野の勉強をして方向転換をする例も。
    また、投資更年期は更年期以降の人生にとってどんな意味を持つのか。飛躍的に延びた後半生はなんのために与えられているのか。そのことを考えるヒントを教えてくれる症例をご紹介します。
    【体験症例⑧】「私の老後はどうなってしまうのだろう」
    インテリアデザイナーの秋元逸子さん仮名·57歳が友人のひとことで初めて更年期を意識したのは48歳のころです。仲間と仕事の打合せをしているときに、意見の対立からどちらも引かずちょっとした言い争いになり、イライラを募らせ多少感情的にもなっていました。席を立った秋元さんの背中に「秋元さん、更年期じゃないの」
    という言葉がぶつけられました更年期4、5歳は若い友人からそういわれ、単に意見の違いからくる対立だと思っていたのが、更年期という言葉を持ち出されて逸子さんは面食らいました。
    と同時に更年期なんて言葉でひとくくりにされたのが不愉快でした。しかし、それ以来更年期という言葉は自分と無縁の言葉とは思えなくなったのも事実です。
    「これは単にものごとをストレートにはっきり言う私の性格の問題だと思うのですが。その性格のコントロルがきかないというのは更年期からくるんでしょうか。よくわからないですね」
    と、逸子さんはちょっと困った顔をします。
    それからしばらくたって仕事で大きな失敗をしました。
    インテリアショップでアドバイザーを勤める逸子さ言ってはいけない本心を口にしてしまって、お客は激怒んが、商品の苦情を訴えてきた消費者に向かって、店側にも迷惑をかけてしまいましたかつてインテリアデザイナーになりたてのころ、同じ失敗をしたことがありました。店のアドバイザーとして苦情処理も大事な仕事のひとつです。消費者の苦情に耳を傾け、それを店にも伝え、両者の関係をうまくおさめなければならないのに、逆に消費者に注意を促し激怒させてしまったのでした。それを貴重な反省材料として、以降そうした失敗は皆無だったのに、50歳のベテランになって同じ間違い。感情の抑制がきかなくなっている自分にとまどい、落ち込みました。
    更年期に多くみられる症状のひとつにイライラがありますが、逸子さんもそのころ、とにかくちょっとしたことでイライラしてつっかかり、友人たちと関係が悪くなったことが一度や二度ではありません
    と当時を振り返ります。

     

    症状をうまくコントロールするため

    イライラだけではありません。2年ほど前、海外出張から帰国したとき、いつもなら数日すれば疲れもとれて元気になっていたのが、疲れがなかなか回復しません。海外での仕事のストレスからか、胃けいれんをおこして病院へ駆け込む騒ぎに。その頃から集中力、気力がついていかず、仕事が思うようにこなせなくなりました。締切りが迫って気持ちは焦るのですが、ペースが上がりません。秋元さんは不安にかられ、不安は不眠へとつながっていきました。
    「体力がなくなり、気力も薄れ、このまま仕事ができなくなったら、私の老後はどうなってしまうのだろう」
    独身で一人暮らしの逸子さんはそう考えると眠れなくなります。
    思い詰めて死ぬしかないとまで考えるように。
    そんな不安を忘れようと、つい食べすぎ、飲み過ぎの日々が続き、人生で一番太った
    のもこのころで症状を聞いていると軽いウツ状態ですが、逸子さんは自力でなんとかしようと、解決の道をさぐります。

    こで、昼は毎日1時間程度のウォーキングを心がけ、夜のお酒を控えて体調の維持に努めましたそ2か月ほど続いた不眠を脱するきっかけは、ある決断でした。このままでは自分はだめになると危機感を抱いた逸子さんは、現在の仕事の幅を広げようとガーデニングを一から勉強することを決めます。「新しくいろいろ覚えなければならないのは大変ですけど、以前から興味があったことですから楽しみもあます。おかげで、これから先の方向性が決まったら、あれほど悩まされていた不眠はパタッとおさまってしまったんです」
    しかし、これですべて解決ではありません。更年期の試練はまだまだ続きます。最近の話ですが、趣味の俳句の会で3年前から会計係を担当していて、収支決算をしたところ、30万円の誤差を出したといいます。「単に収入と支出をつけていくだけの単純作業なのに、どうして!?医師の言葉こんなことさえもできないの?とショックですごく落ち込みました」。
    仕事ではこんなこともあります。海外取材で得た情報を顧客に話して伝えようとしたところ、以前なら覚えていたはずのことがぼんやりとしか記憶されていなくて、あわててしまいました。そうしたことが1度や2度ではありません。忘れないようにメモしておくのですが、悲しいかをいざメモが必要なときにすぐに出てきません。仕事でそんなことが繰り返されると、落ち込みを通りすぎて、このまま自分はどうかなってしまうのではないかという恐怖心がわいてくるといいます。「ジェット機ではなく自転車を楽しんでいいんじゃない」
    逸子さんはそんな自分の駄目さかげんを思い知らされることが続いて、これまでの自分はなんだったのだろうと改めて振り返らざるを得ませんでした。

    「私はこれまでずっとハードルを高く高く設定し続けて、いつもそのハードルを越えよう、越えようとがんばってきたんですよ。いってみれば、町の運動会でいい成績を出したのを自分はできると勘違いして、オリンピックを目指すようなことをしていたのではないか。それに気づいたときには冷や汗が出る思いでした。オリンピックどころか、今は自分の足元もグラグラして危うくなってきているんですから」
    失墜し続ける自己との信頼回復をどうしたらいいのか。どうすれば今一度確かな信頼関係を結べるのか、考えるとすごく落ち込むといいます。町の運動会と逸子さんは謙遜しますが、どうして、これまでの仕事ぶりは実に精力的。フリーのインテリアデザイナーとして住宅や店舗のデザインを手がけ、テレビや雑誌などにもアドバイザーとして登場し、大学でも講師として講座を持っています。

      1. 薬剤過敏性があるレビー小体型
      1. 認知症で保険が適用される
      1. 免疫力を低下させる。

    健康を阻害する食物になってしまうのです。

    著書も多く、不眠に悩まされ、仕事のペースが落ちたという時期にも1年に3冊出版しているほどのがんばりようです。ときどき、肩にずっしりのしかかっている仕事という荷をおろしたいと思うときがあると、逸子さんはさらにつらい胸のうちを打ち明けます。そんなふうに感じたことはこれまでありませんでした。でも、荷をおろしたら生きていけません。それに、そんなことを言いながらも仕事が好きで、精神的なよりどころだということもよくわかっています。そんな気持ちの間を振り子のようにいったりきたりしています。30代でこの仕事についてからは、とにかく仕事、仕事、仕事。理想とする人物がいて、その人をめざし、高い目標をかかげてひたすら仕事をしてきたんです。でも、もうそれをやめようと。私流で行こうと思えるようになってきました。友人に言わせると、私は上昇志向の強い人間らしいですが、いままではそうじゃないと否定していました。でも、最近になってもしかしたらそうだったかもしれないと気づいたんです。これからはジェット機や特急列車ばかりを使うのではなく、ときにはバスに乗ったり自転車や歩くのを楽しんでもいいじゃないか。ここ1、2年そういうふうに切りかえられるようになってきました
    荷は降ろせませんが、軽くすることはできるというわけです。
    また、こんなことも。
    3年前に買ったマンションの20年ローンが負担になっていました。
    最近、知人のアドバイスを受けて、老後のためにたくさんかけていた保険の一部を解約し、ローンの返済にあて、返済期間を半分にしました。そうすると60代半ばで返済は終わり、賃貸しが可能に。少し気持ちが軽くなりました「体験して思うのは、更年期ってそれまでとりつくろっていたものがはがれて、地金が出てしまう時期じゃないでしょうか。地金が出て、改めてそれ以降の人生をどう過ごすかを考える、更年期の体験はそれをみつめるきっかけかもしれません」
    逸子さんはそうしみじみ語ります。
    地金が出た素の自分と向き合うのはときには苦痛を強いられます。でも、そうしないかぎりこの先前へ進めなくなるのが、更年期かもしれません。
    治療が大切な時期です。

    DNAを修復する

    心も身体もこれまでとは同じペースではがんばりきれないと悲鳴をあげたとき、やはり素の自分ってどんなだったの、と問いかけることは大切ではないでしょうか更年期は57歳になったいまも続いているような気がします。でも、更年期はこれからの新たな生活への助走期間でもあり、エネルギーの蓄えの時期でもあるように思えてきました。一時、不安、焦燥感から不眠になったとき、暴飲暴食をして逃げていたけれど、もう逃げてはいけないと胆に命じています。失敗に対してきちんと向き合って、駄目な点を反省して、それを繰り返さないように努力する。それが基本ですねと再び決意を語る逸子さん。更年期に心と身体が異変をおこし、自分自身が信じられなくなったとき、だれもが体験したことのないような不安や恐怖心に襲われます。医療者や薬に頼ることなく、自力で乗り越えた逸子さんの更年期に負けない強さは、いったいどこからくるのかと改めて考えさせられます。
    それは、発想を切り換えて潔く変化に対応する柔軟さと、自己の信頼回復のための地道な努力を惜しまない姿勢かもしれません。
    【体験症例@l私もそろそろ人生の転機が来るのかを自らを「動物占いでは全力疾走のチータ」
    と表現し、まさにチータのように全力疾走で走り続けてきたとい47歳で会社を退職、う横山智子さん仮名·56歳。大手出版社の編集部でキャリアを積み、書籍、雑誌、ビデオなどの出版を手がけています。自ら会社を設立。
    家族は同じ年の夫と大学1年の長女の3人暮らし。
    智子さんの更年期は、編集者という職業柄か情報量も多く、自身のことについても少なからず分析的で客観的な視線を向けていて、興味深いものがあります。智子さんの更年期のつらい時期は52歳から55歳くらいまで、4年ほど続きました。閉経は53歳。それより少し前、生理があったりなかったりしていた時期、あとから振り返るとその頃からウツ状態は始まっていました。
    退職してまもなく、頼まれた大きな仕事に全力投球し、狙いはことごとく的中して、企画は大成功。大きな自信につながりました。会社も軌道にのりつつある頃でした。なんとなく体調が悪い、疲れやすいと感じていました。そんな頃、好奇心から知り合いの紹介で婦人科のドクターのところを訪ねました。飲んでいると若くいられると聞いたHRTについて関心を持ったからです。問診表に書き込んでドクターに見せると、ややウツ系かなと言われました。


    医師には相談しない 病気の有無 薬を飲みつづけ